第1回 大竹輝子の力強い生き様『人生ひた走り』に綴られた思い戦中戦後の過酷な状況のなか、決して夢をあきらめずに生きた大竹輝子氏の熱いメッセージが込められている、自伝『人生ひた走り』をご紹介します。書評とともに、著者書き下ろしエッセイ『ひとりごと』もお楽しみください。 ●評論/遠藤千舟 本書は、先の大戦と戦後の混乱のなかに青春を送り、やがて医師となった著者が、人間の生命とリアルに向き合い、ひたすら走り続けた人生の記録である。著者は戦争末期の昭和19年(1944年)に東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)に入学したが、その翌年には自宅を消失、焼け野原からふたたび立ち上がって、昭和25年(1950年)に医師免許を取得した。 戦時下の学校や、空襲の様子が生々しく描かれ、終戦後のアルバイトをしながらの学業の継続と卒業、医師免許取得までの苦闘の歴史は実に感動的だ。さらに、新米医師時代の体験も波乱に満ちており、仕事を続けながらの結婚と出産もドラマチックに展開する。伊豆の病院勤務の時代に遭遇した検屍の経験を通じて、著者は人の生と死を人間としてより深く考えるようになった。やがて著者は横浜で開業し、多忙な日々を送る。本書は、著者が医師として歩んだ半世紀余の間の人々の暮らしや病との闘い、そして著者自身の生涯の貴重な記録を提供している。 収録された多数の絵画作品は、著者が科学者であると同時に、優れた芸術家であることを示し、本書をさらにわかりやすく、かつ印象的な作品としており、読者には大きな安らぎを与えるものだ。 ●『人生ひた走り』あらすじ 第1回 【第一章 戦禍の医学生】 日中戦争が始まって3年たったころ。青春真っ盛りの著者は新しい時代の女性として、自立した人生を歩もうと決意する。「医者になりたい!」──必死の猛勉強で、昭和19年(1944年)春、難関を突破、憧れの東京女子医専(現・東京女子医科大学)への入学を果たす。 戦局は日に日に悪化し、家の近くに500キロ爆弾が落とされるなど、命がけの医学生生活が続いた。米軍戦闘機の機銃掃射を浴びて、あやうく逃れるということもあった。昭和20年(1945年)3月と4月の東京大空襲の後、ついに著者の住む品川近辺も、重爆撃機の焼夷弾の雨に焼き尽くされる。地獄絵のようななかを逃げまどい奇跡的に生き延びる。すべてを失ったなか、かぶっていたヘルメットを鍋代わりにご飯を炊くなどの経験をした。 集団疎開、そして終戦後の混乱のなかでも、持ち前の明るさとバイタリティを発揮し、空腹と寒さ、孤独と貧しさに負けず勉学とアルバイトに励み、ついに卒業。晴れて医師国家試験合格を勝ちとる。 【第二章 新米女医時代】 まず阿佐ヶ谷の病院に勤めた。当時は結核が医療の最大のテーマであった。特効薬のストレプトマイシンがあったが、1本10,000円と言われていた。それが何本も必要なのだから、むなしく息を引きとる人も多かった。そのころのことを思い出すといまでも胸が痛む。 そして念願の産婦人科医を目指しつつ、全科の修得のために藤枝(静岡県)の病院に移り、住み込みで勤務する。出産は自宅でする時代、立ち会う医療現場は難しいケースが多く、命の誕生の感動的なドラマの連続であった。ここで先輩医師から実地に多くのことを学び、腕を磨いた。 (第2回につづく) ● 書き下ろしエッセイ『ひとりごと』第1回 大竹輝子 10年1日の如く過ぎ去って行く毎日。それが年々、年を追う毎に早くなって行くような気がする昨今、今年こそは少し余裕を持って悠々自適の毎日でありたい、と元旦にはいつも思うのだが、どうしてこうも忙しいのだろう。自分でも忙しくしているのだから仕方ないでしょ、頭の片隅で誰かが言っている。昔から随分忙しく立ち働き、女性として妻として母親として、そして第一に社会の一員として貢献して行こうと何かしら自分で決めて進んでいるわけだからそれで良いのだ。でも頭ではそう思っても最近は体の方が付いてこない。人は自然に年をとり老化するのが極めて当たり前なのに今頃気づいている自分がおかしくなる。 10年前に夫が先に逝き、家庭の雑用からは解放され、やれやれと思いきや、今までにあれもこれもとやりたいことが山ほど詰まっていたのが一気に爆発して、絵も描こう、書も習いたい、今までやっていた習い事はやめたくないし、そして絵も書も発表する場所がそれぞれあって、それを抜かしたら張り合いもないし、というわけで少しでも暇ができたら少しずつまとめる。でもやはり三度の食事は自分で賄わなければいけないし、医者をやっている限り医師会の行事、研修会、講演会にやっぱり極力出席しないと周囲から置いて行かれるような気がする。最近は特に物忘れがひどくて自分でもあきれるが、それでも出られる限り出ようと思う。家に帰って今日は何の話だっけ、と思い起こすとき、殆どもう抜けているのにはあきれる。 今年は気候の変動がひどくてなかなか付いて行けないようだが、でもこう年をとると感覚的にも麻痺して来るのか、診察室での「今日はお寒いですね」とか「いい陽気になりました」とか通り一遍のあいさつも、実際にはあまり感じていない気がする。「先生はなぜ風邪を引かないんですか」とよく聞かれる。「ええ、感冒を引くような気がしないんですよ」と言うが、本当に開業以来、病気で診察を休んだことがない。今までにも疲労による風邪症候群のようなのは何回かあるが、いつも連休のときなどである。やっぱり忙しいのが私の性に合っているらしい。 時に思う、体力がもう少し逆行すれば良いのに、と。 (第2回につづく) |
|
『モンマルトルの丘』 大竹氏が憧れていたパリのモンマルトルで描いた作品。 |
大竹輝子 ● おおたけ てるこ医師。日本医家美術人協会会員。1926年生まれ。東京都出身。1949年、東京女子医学専門学校(現・東京女子医大)卒業。1959年、大竹医院を開業。1996年、『風光会』光村賢治氏に師事、絵画を始める。2007年、自伝『人生ひた走り』、2008年、『大竹輝子画集 自然への感謝』を刊行。2009年5月末にドイツで行われる展覧会『ジャパン・アート・コレクション・イン・ミュンヘン』に出展する。 大竹輝子氏の『人生ひた走り』または、エッセイ『ひとりごと』へのご感想を送っていただいた方の中から、毎月抽選で5,000円分の図書カードをプレゼント! ご応募はこちらから。 |